小史
- 日本工学会は、創立当初は「工学会」と称し、明治12年(1879)11月18日旧工部大学校の土木、電気、機械、造家、化学、鉱山、冶金の7学科第1期卒業生23名が相互の親睦、知識の交換を目的とて創立。創立当時は工部大学校の卒業生だったが、同大学以外の関係者に門戸を開放し、我が国の工学・工業の発展に貢献した。主な事業は、工学会誌(機関雑誌)(明治14年に創刊し大正10年まで452巻)を刊行、講演会の開催、会員功績者の表彰、災害予防調査、政府委嘱委員の選出、工業教育の助成等、わが国工学界に尽力するところが漸次顕著になった。
- 明治23年に宮内省から御手許金1千円の御下賜があった。
- 明治34年1月31日社団法人の許可があった。
- 工学の発展ともに各専門が成長して会員が増加するにつれ、会員の間に専門分野別独立団体創設の気運が高まり、大正11年、従来の個人会員組織を改めて、専門学会を会員とする団体会員組織とした。当時の会員は次の12学会で、各学会間の連絡を図り、その共通事項を処理し、わが国工業および工芸の振興に協力することを記した。
(日本鉱業会、造家学会、電気学会、機械学会、造船学会 、土木学会、鉄鋼協会、照明学会、電信電話学会、工業化学会、火兵学会、暖房冷蔵協会)
- 大正14年9月、日支工業提携の目的をもって、本会名で、中華工程師学会会員をわが国に招待した。
- 昭和4年秋を期して、東京で万国工業会議を開催し、世界各国の工学者をわが国に招待し、わが国工業界の現状を紹介し、進んでわが国工業品の世界的発展に資した。
- 昭和5年3月「工学会」の名称を「日本工学会」と改めた。
- 昭和2年以降、約4年毎に工学会大会を開催し、昭和31年に第7回大会を開催したが、現在は休止している。工学会大会には、総会・部会・晩餐会・見学会・工業展覧会を催すのを通例とし、戦前の第1回〜第4回大会においては、総会出席者は約3,000人におよび、晩餐会にも300名以上も出席があり、なかなか盛会であった。
- 大正11年改組当時の会員数は、前述の12学会であったが、昭和11年に15学会、同15年には16学会となり、戦後は漸次入会会員が増加して、現在では98学協会、その所属会員数は60万人を越えた。
- 本会創立当初は、幹事が専ら会務を処理していたようであるが、明治34年社団法人の許可を得てからは、会長(または理事長)制をひいて、会務にあたった。ちなみに、創立当初から会の運営に携わった方々のお名前を列記してみると次のようである。
明治 | 大正 |
12年度 |
高峯 譲吉・杉山 輯吉 |
13年度 |
杉山 輯吉・中村 貞吉 |
| 14年度 |
岩田 武夫・安永 義章 |
15年度 |
原田 虎三・山尾 庸三 |
| 16年度〜33年度 |
山尾 庸三 |
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| 34年〜大正6年 |
山尾 庸三(理事長) |
大正6年〜昭和9年 |
古市 公威(理事長) |
昭和 | 平成 |
9年 〜 13年 |
真野 文二(理事長) |
13年 〜 21年 |
俵 国一(理事長) |
| 21年 〜 24年 |
佐野 利器 |
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| 24年 〜 28年 |
大野 巌 会長 |
28年 〜 36年 |
加茂 正雄 会長 |
| 36年 〜 40年 |
丹羽保次郎 会長 |
40年 〜 42年 |
辻 二郎 会長 |
| 42年 〜 44年 |
内田 俊一 会長 |
44年 〜 46年 |
福田 武雄 会長 |
| 46年 〜 50年 |
的場 幸雄 会長 |
50年 〜 52年 |
武藤 清 会長 |
| 52年 〜 59年 |
吉識 雅夫 会長 |
59年 〜 62年 |
伊木 正二 会長 |
| 62年〜平成2年 |
尾佐竹 徇 会長 |
2年 〜 10年 |
石川 六郎 会長 |
| 11年 〜 15年 |
大橋 秀雄 会長 |
15年 〜 19年 |
佐々木 元 会長 |
| 19年 〜 |
岸 輝雄 会長 |
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- これまでの主な活動状況
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創立100周年記念事業:昭和54年11月20日(火)日本工業倶楽部大会堂において、皇太子ご夫妻のご臨席を仰いで、記念式典が行われ、引き続き同祝賀パーティが開催された。記念事業として企画・実行された行事は次のようであった。
- 記念講演会:昭和54年11月20日(火)於日本工業倶楽部大会堂
- 記念論文集の刊行
- 工学会誌の総索引誌の刊行
- 「目で見る工学100年展」:昭和54年11月20日(火)〜12月1日(日)科学技術館
- 文部省科学研究補助金による調査研究:昭和56年度、57年度に亘り、文部省科学研究補助金(綜合研究B)による「わが国科学技術研究開発の実態調査と工学研究の長期的推進等に関する綜合的研究」を加盟学協会協力のもとに実施し、昭和58年度には、永年に亘っての懸案であった「工学叢誌・工学會誌」を復刻した。
- 「科学技術振興・推進に関するシンポジウム」:平成14年11月25日に第13回目が開催された標記シンポジウムは多い時は政・官・学・産から400名を越える参加者を数え、今日の工学教育を中心とした科学技術振興・推進に大きな役割を果たしている。特に第2回「基礎研究の進行と工学教育」シンポジウムは平成4年10月12日に開催され、大学問題に一石を投ずると同時に学術法人法(仮称)制定に向かって必要性を再確認した。
- 公開シンポジウム「学協会の活性化を求めて」:平成4年15日に開催された標記シンポジウムは今後の学協会のあり方について大きい示唆を与えた。
- 共通問題討論会:本会本来の事業である、会員学協会共通問題について討論する機会を、昭和63年度から4月の定時総会に併せて開催してきた。最近の議題は「国際会議に関する問題」「情報化への学協会の対応問題」「会員増強と広報活動」「21世紀に向かって学協会の果たす役割」「21世紀に向かって学協会がめざす課題」「技術者240万人の能力開発のための学協会は何をなすべきか」「PDE協議会に期待する」等を取り上げた。
- 政策委員会:学協会共通問題の最重要課題として平成元年度から各学協会の協力を得て学術法人法制定準備のため発足した委員会が発展的にこの委員会となった。理事会の諮問に応えて本会の重要案件を審議、本会事業活動の方向付けに大きく貢献した。
- 著作権問題検討委員会:昭和55年に発足し、昭和63年12月発足した“学協会著作権協議会”と協議しながら日本複写権センターの活動に協力している。現在は、有限責任中間法人学術著作権協会に役員を派遣し協力している。
- セミナー:国際会議開催の頻度の高まりに応じて、会員学協会からの要望もあって、昭和63年度から「国際会議のための準備セミナー」の開催に踏み切った。これは単なる英語教育にとどまらず、実際の国際会議を想定した発表形式のセミナーとして、好評を博していた。
- 世界工学団体連盟(WFEO)への加盟:ユネスコの援助の下、1968年3月パリーにおいて世界工学団体連盟が創立され、60カ国が参加した。当会は1972年日本の代表として加盟を承認され、その後副会長、役員執行等を送って貢献した。
- 東南アジア・太平洋工学連合(FEISEAP)への加盟:1978年ユネスコの後援によりタイ国チェンマイで設立された同連合に日本の代表として加盟した。参加国は、タイ国を始め13カ国である。本学会からも会長職を務める等貢献した。
- 日本工学会年報の発行:昭和33年から35年まで、日本工学会年報(年1回)を発行して来たが、昭和36年からは、加盟各学協会の情報を盛り込んだ現在の形式の年報に変え、毎年末に発行している。
- 日本工学会ニュースの発行:昭和34年発行された“事務研ニュース”はその後、名称・形式の変更はあったが、現在“日本工学会ニュース”として連綿と続けられ,平成15年9月で、434号を数えている。
- 事務研究委員会の活動:会員学協会事務局責任者が集まって組織したのが「事務研究委員会」である。現在でも毎月1回会合を持ち、学協会共通問題を、特に対監督官庁や日本学術会議等との折衝、事務局内の問題、税法上の問題、郵便料等の問題、著作権問題、公益法人改革等々を取り上げ、それらの検討・解決に熱心に取り組んでいる。
- 人材育成に関する活動:平成5年度、各界で問題視されている工学教育問題を検討する委員会を設置し工学教育に関する事項について工業高専・工業高校代表も参加して活動し、その後、平成11年の日本技術者教育認定機構(JABEE)の設立に貢献した。さらに、技術者の継続的能力開発に対しても、PDE(Professional Development of Engineers)協議会を中核組織としたシステム構築を目ざして、平成12年度から活動している。
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